おぢぞう〜梅ちゃん!言いたい放題!

福岡で中古マンション購入・中古住宅購入を検討している方へ経験だけに頼らず消費者ニーズに徹底的にこだわり、一般常識・既成概念を大切にしながらも、こだわり過ぎない、『夢実現のスマイル提案』をモットーに活動している株式会社レアル。その社長 梅崎(=梅ちゃん)のブログです。

梅ちゃんはどんな事を考えて、どんな事をしているのか、日常をほぼ毎日更新していきます。
どうぞ梅ちゃんブログをお楽しみ下さい。

100分de名著

砂の女

100分de名著で安部公房『砂の女』を見て、YouTubeで映画も観ました。いやはや、これは度肝を抜かれる内容でしたねぇ…。

休暇を利用して昆虫採集をしに来た男が砂の村に立ち寄り、監禁されるように砂の穴に建つ家に女と暮らすようになる、男は何度も脱出しようとするが成功せず、次第に砂の家での女との生活に順応していくように…。

そもそもが意味不明な設定に最初はついていくのが大変でしたけど、どこか男の気持ちも分かるし、女のズルくも逞しい生命力に理解もするし。最初に答えを持ってきて、そうなる経緯を辿るストーリーなのに退屈しない展開にみんなが魅力を感じるのかもしれません。

今、参議院選挙前で通りではスピーカーで大きな音でしゃべっています。正直、私も内容はひとつも入ってきません。自由だ、平和だ、理不尽を正す…といっても民衆に響かないのは何故でしょう。

僕らは、もしかして、自覚なく、砂の村の住人で砂の家に暮らしているのかもしれません。外の世界を知っていても、踏み込まない踏み出さない、その為に自由とか平和とか心地よい言葉を使っているような気がします。

ある意味、自分に突きつけられているようで怖い映画です。でも、一度観てほしい映画ですねぇ。考えさせられました。がんばります!ではっ!

戦争は女の顔をしていない〜アレクシエーヴィッチ著

NHK番組の100分de名著は大好きで録画して観ていますけど、今回のアレクシエーヴィッチ著『戦争は女の顔をしていない』。もちろん、今のウクライナ情勢を鑑みての再放送でしょうけど、それにしてもリアルな内容に衝撃を受けました。

先ず、第二次世界大戦のソ連軍に約100万人の女性兵士がいたことにビックリ。しかも、戦場で一番嫌だったことが、死への恐怖ではなく、男もののパンツを履くこと、との感覚…これこそ通常の人間の感覚ではありません。残虐非道な殺し方や敵国女性へのレイプ。男兵士の女性を人間として扱わない横暴さ。しかも、未来ある子供たちを楽しみながら殺す。余りの生々しさに唖然とするばかり。とはいえ、戦場での恋。戦争が終われば、連れて終わる短い恋も描かれて、少しホッともしたり。ただ、戦争から帰還してきたら、待っていた差別。兵士だったことを隠して生きていくしかなく、一緒に戦場で戦った男性兵士も帰還後は助けてくれなかった。本当に悲しいです。

とにかく、国家が個人に犠牲を強いるナショナリズムが酷い。人生も青春も全てを国家に捧げて、道具のように命を捨てていく。正しく、今、ウクライナ侵攻でロシア軍が行っていることではありませんか。第二次世界大戦から、何も変わっていない学習していない社会。本当に、地球破滅の道を歩んでしまいます。この『戦争は女の顔をしていない』は、ペレストロイカ後に出版され、彼女自身は2015年にノーベル賞文学賞を受賞しています。日本では、漫画にもなっているそうです。とても考えさせらました。がんばります!ではっ!


戦争論 〜 ロジェ・カイヨワ著

『戦争論』われわれの内にひそむ女神ベローナ〜ロジェ・カイヨワ著。「人間にとって戦争とは何か?」「人間は戦争とどう向き合うべきか?」NHK番組100分de名著全4回を通して観ました。

少し内容を要約してみます…。

・リアルな殺し合い、生身の肉が傷つく、そのような面を体現する副題の女神ベローナ。

・戦争そのものの研究ではなく、戦争が人間と心と精神とを如何にひきつけ恍惚とさせるかを研究したものであった。

・人類が文明の果てにこういう戦争にいきついた、そもそも人間の中に戦争へと向かう傾きがあるのではないか?と、想定して振り返ってみる。

・人間の聖なるもの、祭りや遊びと同じように戦争はある。近代の合理的な考え方では捉えられないものが、表向き合理的な人間社会の結びつきの根本にある。

・全てのものが生産を原理に組み立てられているが、いつか飽和してパンクする。それで遊びや祭りが社会を調整している。

・呑み込まれる戦争の暴力性への傾きを、どうやって差し止めるか?考えること自体が最初のブレーキになる。

・人間により構成された社会が、組織的に兵器という道具を用いて、敵の人間の命や所有物を破壊することが戦争。戦争とは、単なる武力闘争ではなく、破壊のための組織的企てある。

・戦争は平和の産物、とはいえ、戦争は文明を表出している。戦争は影のように文明につきまとい、文明と共に成長する。戦争は文明が発達すればするほど、野蛮で破滅的になる。

・戦争形態の変遷→仝胸賄戦争貴族戦争9駝雲鐐茵F辰豊□への移行にて、民主主義が戦争をまん延させる担い手を圧倒的に広げる。国家の意思にしたがって、民主主義社会では戦争が全般化してしまう。

・全体戦争とは、第一に戦闘員の数が動員可能な成年男子の数に接近する、ということを意味する。第二にそれはそこに使用される軍需品の量が、その交戦国の工業力を最大限に働かせたときの生産量と等しい、ということを意味する。

・つまるところ戦争は、規格化された大量生産を促進することとなった。大量生産が順調に行われるためには、大量破壊がなくてはならない。組織的破壊こそは、新規需要の最大の保証である。

・何の目立つところもなく、生きては長蛇の兵列の中にあって、見分けることもできない一兵士にとどまり、死しては死肉の山の中に見分けもつかなぬ肉片となった。これら無名兵士の栄光は、武功に対して与えられたあらゆる名誉や世にも稀なる諸徳に与えられたあらゆる名誉にもまして、光り輝くものであった。

・熱意を盛り立て維持するために、機械的な手段も用いられた。戦闘と同じ雰囲気をつくって、絶対服従と無条件奉仕の精神を養おうとするものである。この期においては、軍隊はもはや単に国土を護る道具ではない。それは国民の最高の表現であり、国民再生の至高の原則となったのである。

・戦争と祭りとは二つとも、騒乱と動揺の時期であり、多数の群衆が集まって、蓄積経済のかわりに浪費経済を行なう時期である。戦争と祭りは、平常の規範を一時中断することであり、真なる力の噴出であって、同時にまた、老朽化という不可避な現象を防ぐための唯一の手段である。

・祭りと戦争の違いはむしろ、祭りがその本質において、人びとの集まり合体しようという意志であるという点にある。祭りにおいて人は互いに高揚興奮させるが、戦争においては人は相手を打ち負かしてこれを服従させようとする。

・核兵器という遠距離まで届く大量殺戮の道具は、抗争を全地球的規模に拡大する役を果たした。このような条件の下では、戦争は国民という枠をはみ出してしまう。

・物事をその基本において捉えること、すなわち、人間の問題として、いいかえれば人間の教育から始めることが必要である。とはいうものの、このような遅々とした歩みにより、あの急速に進んでゆく絶対戦争を追い越さねばならぬのかと思うと、わたくしは恐怖から抜け出すことができないのだ。

…結局、解決策は?と言いたくなるのですが、もう核兵器を人間の頭から切り離すことはできないので、本当に難しい問題です。つまり、今このときも平時も戦時の境がない、日本においてもウクライナと同じことが起こっても何ら不思議でないってこと。信じたくない認めたくないのですが、真摯に受け止めたいと思います。がんばります!ではっ!


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