おぢぞう〜梅ちゃん!言いたい放題!

福岡で中古マンション購入・中古住宅購入を検討している方へ経験だけに頼らず消費者ニーズに徹底的にこだわり、一般常識・既成概念を大切にしながらも、こだわり過ぎない、『夢実現のスマイル提案』をモットーに活動している株式会社レアル。その社長 梅崎(=梅ちゃん)のブログです。

梅ちゃんはどんな事を考えて、どんな事をしているのか、日常をほぼ毎日更新していきます。
どうぞ梅ちゃんブログをお楽しみ下さい。

フランス

M-1優勝ウエストランド&W杯アルゼンチン優勝

何か素晴らしい夜ですねぇ〜。M-1ではタイタンのウエストランドが優勝し、サッカーカタールW杯はアルゼンチン優勝。

M-1は、正直、さや香が優勝かと思っていたら、何と10組目で出てきて、いきなりの毒舌漫才で空気を変えましたねぇ…。ツービート〜爆笑問題の流れが再評価された気がします。特にウエストランドの井口さんは、爆笑問題太田さんに次ぐ活躍ができるかと思います。今後、注目ですねぇ。優勝おめでとうございます。

次に、サッカーカタールW杯。フランスのエムバぺとアルゼンチンのメッシとの勝負、見どころ満載でした。ただ、PK決着は残念。Vゴールシステムでも良いような気がしますけど。優勝したアルゼンチンはメッシと若手が上手く融合して素晴らしいチームでした。あのマラドーナ以来の36年ぶり3回目の優勝おめでとうございます。

いやはや、ハラハラドキドキの感動をありがとうございました。がんばります!ではっ!

Jinsei Tsuji Hitonari - Live in Paris 2022

アップされた辻仁成さんのパリライブ動画。なんか型にハマらず、自由に音楽を通して語りかけてくる感じが、とても癒されます。前回の「荒城の月」も最高に良かったですねぇ〜。これからの更なる活躍が楽しみです。がんばります!ではっ!


戦争論 〜 ロジェ・カイヨワ著

『戦争論』われわれの内にひそむ女神ベローナ〜ロジェ・カイヨワ著。「人間にとって戦争とは何か?」「人間は戦争とどう向き合うべきか?」NHK番組100分de名著全4回を通して観ました。

少し内容を要約してみます…。

・リアルな殺し合い、生身の肉が傷つく、そのような面を体現する副題の女神ベローナ。

・戦争そのものの研究ではなく、戦争が人間と心と精神とを如何にひきつけ恍惚とさせるかを研究したものであった。

・人類が文明の果てにこういう戦争にいきついた、そもそも人間の中に戦争へと向かう傾きがあるのではないか?と、想定して振り返ってみる。

・人間の聖なるもの、祭りや遊びと同じように戦争はある。近代の合理的な考え方では捉えられないものが、表向き合理的な人間社会の結びつきの根本にある。

・全てのものが生産を原理に組み立てられているが、いつか飽和してパンクする。それで遊びや祭りが社会を調整している。

・呑み込まれる戦争の暴力性への傾きを、どうやって差し止めるか?考えること自体が最初のブレーキになる。

・人間により構成された社会が、組織的に兵器という道具を用いて、敵の人間の命や所有物を破壊することが戦争。戦争とは、単なる武力闘争ではなく、破壊のための組織的企てある。

・戦争は平和の産物、とはいえ、戦争は文明を表出している。戦争は影のように文明につきまとい、文明と共に成長する。戦争は文明が発達すればするほど、野蛮で破滅的になる。

・戦争形態の変遷→仝胸賄戦争貴族戦争9駝雲鐐茵F辰豊□への移行にて、民主主義が戦争をまん延させる担い手を圧倒的に広げる。国家の意思にしたがって、民主主義社会では戦争が全般化してしまう。

・全体戦争とは、第一に戦闘員の数が動員可能な成年男子の数に接近する、ということを意味する。第二にそれはそこに使用される軍需品の量が、その交戦国の工業力を最大限に働かせたときの生産量と等しい、ということを意味する。

・つまるところ戦争は、規格化された大量生産を促進することとなった。大量生産が順調に行われるためには、大量破壊がなくてはならない。組織的破壊こそは、新規需要の最大の保証である。

・何の目立つところもなく、生きては長蛇の兵列の中にあって、見分けることもできない一兵士にとどまり、死しては死肉の山の中に見分けもつかなぬ肉片となった。これら無名兵士の栄光は、武功に対して与えられたあらゆる名誉や世にも稀なる諸徳に与えられたあらゆる名誉にもまして、光り輝くものであった。

・熱意を盛り立て維持するために、機械的な手段も用いられた。戦闘と同じ雰囲気をつくって、絶対服従と無条件奉仕の精神を養おうとするものである。この期においては、軍隊はもはや単に国土を護る道具ではない。それは国民の最高の表現であり、国民再生の至高の原則となったのである。

・戦争と祭りとは二つとも、騒乱と動揺の時期であり、多数の群衆が集まって、蓄積経済のかわりに浪費経済を行なう時期である。戦争と祭りは、平常の規範を一時中断することであり、真なる力の噴出であって、同時にまた、老朽化という不可避な現象を防ぐための唯一の手段である。

・祭りと戦争の違いはむしろ、祭りがその本質において、人びとの集まり合体しようという意志であるという点にある。祭りにおいて人は互いに高揚興奮させるが、戦争においては人は相手を打ち負かしてこれを服従させようとする。

・核兵器という遠距離まで届く大量殺戮の道具は、抗争を全地球的規模に拡大する役を果たした。このような条件の下では、戦争は国民という枠をはみ出してしまう。

・物事をその基本において捉えること、すなわち、人間の問題として、いいかえれば人間の教育から始めることが必要である。とはいうものの、このような遅々とした歩みにより、あの急速に進んでゆく絶対戦争を追い越さねばならぬのかと思うと、わたくしは恐怖から抜け出すことができないのだ。

…結局、解決策は?と言いたくなるのですが、もう核兵器を人間の頭から切り離すことはできないので、本当に難しい問題です。つまり、今このときも平時も戦時の境がない、日本においてもウクライナと同じことが起こっても何ら不思議でないってこと。信じたくない認めたくないのですが、真摯に受け止めたいと思います。がんばります!ではっ!


ボーヴォワール「老い」

100分で名著にて、ボーヴォワール「老い」を観ました。「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と書いたフェミニズム運動の草分け的存在ボーヴォワール。ゲスト解説は、以前絶賛した上野千鶴子先生。 

NPOで終活を進める上で「老い」は大きなテーマなので、興味があり観ていたのですが、番組が進むに連れてドキッとする場面が。私自身の思い当たる節があり、反省することばかりでした…。忘れないうちに気になったところを列記します。

・老いは文明の言語道断の事実(スキャンダル)、個人の問題ではなく文明の問題。(上野千鶴子)

・人間がその最後の十五年ないし二十年のあいだ、もはや一個の廃品でしかないという事実は、われわれの文明の挫折をはっきりと示している。この人間を毀損する体制、これがわれわれの体制にほかならないのだが、それを告発する者は、この言語道断な事実を白日の下に示すべきであろう。(ボーヴォワール)

・老年期において人間が一個の人間でありつづけるためには社会はいかなるものであるべきか。すなわち、彼がそれまでの生涯をつうじて常に人間として扱われていたのでなければならないということだ。現役でなくなった構成員(メンバー)をどう処遇するかによって、社会はその真の相貌をさらけ出す。(ボーヴォワール)

・社会的弱者(女・子供・お年寄り・障がい者)にがんばって生き抜けて言ったって無理。弱い人が弱くて何が悪い。(上野千鶴子)

・これまで向老期の研究は余りなかった。老いとは老い衰えること、中途障がい者になっていくこと。(上野千鶴子)

・以前の自分と比較して、できない自分を「不甲斐ない」「情けない」と自分で自分を責める。これを自己差別という。(上野千鶴子)

・早くも四十歳のとき鏡の前に立ちつくして、「私は四十歳なのだ」と自分に向かってつぶやいたとき、私はとうてい信じられなかった。(ボーヴォワール)

・四つの次元=生理的・心理的・社会的・文化的。その中で一番最初にくるのは生理的肉体の衰え→歯・目・マラ。最後まで追いつかないのが心。(上野千鶴子)

・隠退という言葉は、この世でいちばん厭わしい言葉だ。自分が選ぶにせよ、運命がわれわれを強いるにせよ、隠退して自分の仕事ーわれわれをしてわれわれたらしめる仕事ーを放棄することは、墓へ降りることに等しい。(ヘミングウェイ)

・なんという不倖だろう、長い老いに従わねばならないことか!まずはじめには、顔の形が変わり、いとわしく、見分けがつかなくなる。(ユヴェナリス)

・童話のなかで老婆は、すでに女性であるというだけでうさんくさいのであるが、常に不吉な存在である。彼女が善を行なうことがあるとすれば、彼女の肉体的外観は実は仮装にすぎず、やがてそれを脱ぎ棄て、若さと美しさに輝く妖精として姿をあらわすのである。(ボーヴォワール)

・男性の立場からすれば、女性の境涯は色情の対象であることなので、年を取って醜くなるとき、彼女は社会の中に割り当てられた場所を失うのである。(ボーヴォワール)

・更年期以後、女性はもはや性をもたず、婚期に達していない少女と同類となり、少女と同様、ある種の食事上のタブーを免除される。月経の汚れが原因で彼女のうえに課せられていた諸々の禁忌はとり外される。彼女は踊りに加わり、酒を飲み、タバコを吸い、男性と並んで腰をおろすことができる。(ボーヴォワール)

・「自分が若いと感じているかぎり、我々は若いのだ」と老いを受け入れない人に対して→そのように言うことは、老いという複雑な現実を見過ごすことである。私のなかで年取っているのは他者、すなわち、私が他者たちにとってそうであるところのもの、であり、しかもこの他者は、私なのだ。(ボーヴォワール)

・メディアとかが、「若いことが最高」だと持ち上げてきたことは罪深い。(上野千鶴子)

・年寄りが厄介者扱いされるようになった移動と変化は激しい近代社会では、古い=アウトとなり年寄りの地位が下がる。(上野千鶴子)

・ふつう田舎には都会よりも美しい老年が多く存在すると言われているが、事実は、調査された全ての被験者たちは同じ年齢の裕福なパリ市民より健康ではなかった。(ボーヴォワール)

・多くの老人は、習慣から、あるいは生活のために、また自分の凋落を認めたくないために、書きつづける。しかしその大部分は次のベレンソンの言葉が事実であることを例証している。「人が六十歳を過ぎて書くものは、まず二番煎じのお茶ほどの価値しかない」(ボーヴォワール)

・自分が言うべきであると考えていたことのすべてをすでに言ってしまった。この以上書けば、過去のくり返しになることを恐れる。(ジッド)

・おお、わが心よ、悩める心よ、この荒唐無稽をなんとしよう。ポンチ絵のようなわが姿、犬の尻尾にゆわえつけるように、人が私にゆわえつけたこの老醜。(イェイツ)

・その生涯の終わりにおいて、アインシュタインが科学に役立ったというよりは、科学の進歩の邪魔になったことは事実である。(ボーヴォワール)

・チャーチルは戦争を遂行するために選ばれた、なぜなら彼は戦争を予言し、そのための準備をすべきと主張していたからである。しかし英国が再び平和の中で生きねばならなくなったとき、彼は国民の信頼をかち得るだけの必要な努力をしなかった。もっとも彼はそれはなしえないことだった、というのは彼は時代とともに進まず、新しい課題についてよく判らなかったからである。(ボーヴォワール)

・非暴力の思想に固執していたガンディーは、ヒンズー、イスラム宗教両共同体の中に、どのような暴力がはぐくまれていたかを見抜くことができなかった。彼は現実よりも原則を、目的よりも手段を重視したのだった、そしてその結果は彼の事業に反したのである。人間にとって、自分の行動がまさに成就するときに、それが根底から歪められるのを見ることほど、悲劇的な境涯は少ないであろう。(ボーヴォワール)

・老人のなかには自分に目隠しをして、いろいろな出来事が彼らを否認しても、それを知らずにすませる者もいる、しかし彼らはそのため一層の時代遅れとしての姿をあらわすのだ。(ボーヴォワール)

・バートランド・ラッセルは若いころから頑固で勇敢だったが、1961年に彼が八十九歳のときほど、それがセンセーショナルな形で示されたことはなかった。(ボーヴォワール)

・ゲーテについて→ある日、講演をしている途中で、彼の記憶力が喪失した。20分以上ものあいだ彼は黙ったまま聴衆を見つめていた。聴衆は尊敬の念から、身動きひとつしないでいたが、やがて彼は何ごともなかったように再び話しはじめた。このことから判ることは、ゲーテの外見的な均衡も実は多くの些細な機能減退の克服のうえに成り立っていたということである。(ボーヴォワール)

・生殖機能が減退あるいは消滅した個人は、それだからといって無性化されたわけではない。ある種の毀損欠如にもかかわらず、己れの性愛欲を実現すべき存在なのである。老人の性愛について問うことは、その性構造において生殖性の優位が消滅した人間の、自己に対する、他者に対する、世界に対する関係がいかなるものとなるかを問うことである。(ボーヴォワール)

・老夫婦が手を携え生きていくイメージに対して→こうした月並な見取図は、若い人びとや中年の人びとの心に深く刻まれている、なぜなら、それは彼らが子供の頃に読んだ書物の中で数多くの出会ったイメージであり、そして彼らの祖父母たちへの尊敬から、それが真実であると信じたからである。年取った人びとのあいだの性的交渉、あるいは荒々しい諍いなどということは、世間の非難と嫌悪を受けるのである。(ボーヴォワール)

・近代になって、性欲があってはならない、あるべきではない、と否定された存在は3つ。年寄り、子供、障がい者。国家が生み育てる性に最高の価値をおき正しい性になったから、それ以外は正しくない性になってしまった。(上野千鶴子)

・生政治、つまり近代国家にとって人口の質と量の管理は必須生殖につながらない性は否定された。(フーコー)

・権力とは、人と人との間に張り巡らされた微細な力の行使。やがて、それは内面的な行使につながり、いつしか、誰に言われることなく勝手に動いてしまう。(フーコー)

・親は権力。(上野千鶴子)

・高齢男性について→結婚以来、彼は極めて重要な位置を性に与えていただけに、それを放棄することは自分を小さく限定することだと感じたのであろう。彼の「恥ずべき情事」は、彼にとっては殿軍の戦いであったのだ。(ボーヴォワール)


・高齢女性が着飾り出かける様ついて→彼女たちが遥か以前から男性の眼に欲望の対象と映らなくなった後も、自分は欲望をもちうることの証拠である。以上のことは、女性が色情的客体であるという境涯に最後まで制約されていることを意味する。禁欲は生理的運命によってではなく、相対的存在という彼女の社会的地位によって課せられるのである。(ボーヴォワール)

・僕たちの愛は必然だが、偶然の愛も知る必要がある。(サルトル)

・豊かな社会のみが多数の老人をもちうるのだ、とハリングトンは結論する。しかし、この豊かな社会は豊饒さの果実を彼らには拒否するのである。この社会は彼らに「かつかつの余命」を与えるだけで、それ以上は何も与えない。(ボーヴォワール)

・父親あるいは母親が子供たちの家庭に住むと、冷遇されるか、でなくても、なおざりにされる恐れがある。いずれにしても彼らは従属状態に苦しむ。彼らは自分が家族の他の者たちから搾取されているか、あるいはいじめられていると感じる。(ボーヴォワール)

・貧しい老人のひとり暮らしについて→彼らは医療を受ける金がなく、病気は重くなって働くことを妨げ、いっそう貧困を強めるのだ。自分の悲惨を恥じて、彼らは家に閉じこもり、あらゆる社会的接触を避ける。もし彼らに当てられる予算が現在のように馬鹿馬鹿しく不十分でなければ、老人たちの境涯はそれほど悲惨ではなくなるだろう。真っ当な年金と住居があれば、彼は意気阻喪を伴う屈辱感から免れ、最小限の社会的生活が可能となるであろう。(ボーヴォワール)

・介護の担い手は嫁、これを強制労働という。評価なき介護、対価なき介護、感謝なき介護。(上野千鶴子)

・共同生活は大部分の在院者にとって極めて耐えがたい。不幸で、不安で、自分自身の中に閉じこもっている彼らは、どのような社会生活も彼らのために組織されないまま、すし詰めの状態になっている。それゆえ誰一人、老人ホームに行くことは望まず自分の家に留まることを願っている。現在盛んに議論されている問題は、老人たちにとって彼らの間だけで暮らすのは良いことかどうか、という問題である。ヴィクトリアプラザ(アメリカの施設)の成功の理由の大部分は、それが都会の中心に位置しており、居住者が家族から切り離されてないことにある。あらゆる年齢の者が住む集団住宅の中に、独立はしているがいくつかの他の年齢の者と共通の施設を含む老人住宅をつくることが、いっそう望ましいであろう。(ボーヴォワール)

・訪問看護師の方が「死ぬのに医者はいりません、私たちナースだけでお見送りできます」というぐらい現場が進化した。在宅で最後を迎える取り組みが進んでいる。(上野千鶴子)

・認知症について→老人たちの態度の多くは抗議的性格をもつが、それは彼らの境涯が抗議を必要とするものだからである。養老院の在院者、特に男性たちに見られる特徴の一つは不潔さである。しかし当然ではないか?彼らは廃品として捨てられたのだ、どうして世間態や衛生などの規則を守る必要があろう?(ボーヴォワール)

・最後に→書くとは瞬間を救い出すこと、第一が自分の経験を伝達する喜び、次に言葉で人や事物を永遠化させる喜び。私は、そのなかに私の人生が刻みこまれているこの人類の冒険が無限につづくことを必要とする。私は若い人びとが好きだ。私は彼らのなかにわれわれの種が継続すること、そして人類がよりよい時代をもつことを望む。この希望がなければ、私がそれに向かって進んでいる老いは、私には全く耐えがたいものと思われるだろう。(ボーヴォワール)

・ボーヴォワールの死への追悼→子どもをもちたいと決して願わなかったこの女性が世界じゅうの何百万の娘たちの精神的な母であることはなんという矛盾であり、なんという勝利であることか!(バンダンテール)

・超高齢化社会は恵み。老いは誰にもおとずれる、差別していた当人にいつか自分がなっていく。年寄りが安心して生きられない社会は、若い人が安心して働けない社会なので、ボーヴォワールさんの宿題は私たちがちゃんと引き受けないといけない。(上野千鶴子)

…ほんと考えさせられました。がんばります!ではっ!


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