テレビ番組「最後の講義 上野千鶴子」観ました。何気にみていたら、途中から食い入るようになって。「女性が自立して生きていく」その意義や問題点は薄々気づいていても、どう向き合う?ってことをどれだけしてきたか。また、話しはそこにとどまらず、その社会観までの言及にハッと目が覚めた感じでした。

印象的な部分を列記してみます。

・クリスチャンの親に背いて誓ったこと「祈ることをやめる」、「この世のことはこの世で解決する」それが社会学

・主婦研修者、あだ名が「さだまさこ」

・女性学=女の女による女のための学問、男は男で男性学をやってほしい、マスキュリティ(男性性/男らしさ)、女性が問題ではなく社会が問題

・家事は不払い労働だ、家事はただ働き、専業主婦は割に合わない、ワンオペ育児

・「なぜ人間の生命を産み育て、その死をみとるという労働が、その他のすべての労働の下位におかれるのか」


・夫が妻をリスペクトしていない、リスペクトがなくなればやめればいいじゃない

・パワーは怒り!

・自助、公助…共助があるじゃない(たすけあい)

・介護労働=対価なき介護、評価なき介護、感謝なき介護

・当たり前の嫁の労働=強制労働

・第三者に移転可能な活動=労働、ケアは他人にしてもらうと対価となる

・双方にハッピーな介護者でなければ、ハッピーな介護はできない

・ケアの労働が安すぎる?なぜか?→女がタダでしてきたことだから、ケアは圧倒的な非対称、権力の濫用を抑制し続けてきたプロセス

・「ケア」という非暴力の実践に男を招き入れるのが、女の役割

・最後に伝えたいこと?→変わってきたのじゃない変えてきた、「こんな世の中にしてごめんなさい」と言わないですむ社会を手渡したい

・女の人に足りないのは?→できることを積み上げる成功体験。

・「あなたの恵まれた環境と能力を、恵まれない人を貶めるためにではなく、恵まれない人々を助けるために使ってください。そして、強がらず、弱さを認め、支え合って生きてください。」

・「なぜなら、強者はずっと強者のままでいられないからです。強者もかつては弱者だったし、いずれは再び弱者になります。」

・「だとしたら、私たちがほしい社会はどんな社会か?弱者になったときに、“たすけて”と言える、たすけてと言ったときに、たすけてもらえる、そんな社会です。」

・フェミニズム=弱者が弱者のままで尊重される社会を

・超高齢社会を生きる道
安心して弱者になれる社会を!
安心して要介護者になれる社会を!
安心して認知症になれる社会を!
障がい者になっても殺されない社会を!

…と、かいつまんで、このような内容でした。また、YouTubeでみた「東大での祝辞」も、ぶれることなく堂々としたスピーチで。

「空気を読む」との言葉があるように、人の顔色伺って生きることが良かれとの風潮が漂う昨今において、脳天からケツの穴までをズバッと一撃必殺の示現流で見事に切りつけられた思いです。

とても共感するとともに、どこか考えの根底に唯物史観があるように感じました。今一度、エンゲルスの「家族私有財産および国家の起源」を読み返したい気分です。個人的には、女性だけの政党「女性党」をつくり政治から抜本変革していけばと思います。

ともかく、今日はホント勉強になりました。日頃の仕事やNPO活動でも、肝に銘じて取り組んで参ります。学ぶことに限りなし!がんばります!ではっ!