日頃何気に散歩している平和台。その名付け親が岡部平太さんとは知りませんでした。出身は糸島市芥屋、こんな偉大な先人が福岡にいたなんて。

明治・大正・昭和とスポーツ躍進の為に尽力した人生。ただ、その一途なゆえの頑固さ武骨さが、時には嘉納治五郎先生との衝突を招いたり。また、長男平一さんを特攻で亡くし、戦争に反対したり。波乱万丈の人生だったと思います。

現在の平和台陸上競技場は、戦後福岡国体の際、福岡城址一角の旧日本陸軍兵営跡地に「兵(つわもの)どもの夢の跡を平和の台(うてな)にする」として、英語のPeace-Hill(平和の丘)を意味する「平和台」と岡部平太さんが名付けたとの事です。また、亡くした長男平一さんから「平」を取って付けたとも言われています。

戦争は二度と繰り返してはならないです。平太さんの願いが詰まった平和台、僕らが引き継いでいかなくては…。今度、競技場内の銅像に会いに行きたいと思います。どげんかなる!を胸に…。がんばります!ではっ!