『たそがれ清兵衛』『武士の一分』に続き、この映画も良かったですねぇ。
幕末には、武士が形式的になり、本来の意義が薄れてきたからでしょう。
一部の者により既得権益化した、先例主義・惰性政治が横行していた狭間で。
その弊害や消化出来ない矛盾を抱え、自分の意思を貫く生き様は共感します。
宗蔵が、何故、隠し剣鬼の爪を弥市郎に使わず、家老堀には使ったのか…。
隠し剣鬼の爪を通じて、本来の武士道の意味を込めたのだと思います。
山田監督は、すごいです!
がんばります!ではっ!