晴れぬ夕立の一日、会社はお盆休みですが、私は仕事で出勤。
数日空けただけで、郵便物やメールがこれだけくるとは?って感じで。
のんびり気分で出勤したものの、意外とバタバタでしたねぇ。

しかし、最近思うのが、はたして“住まい”とは何ぞや!ということ。
日頃、マンションが戸建が、新築が中古が、と物件ごと説明はしていますけど。
私が出来るのは導きまでで、結局、大半は本人責任に依拠する訳ですから。
出ている物件、営業マンのトーク、購入本等々を比較しているだけかも?
…なんて、思ってしまいます。

我々が、歴史を調査する時、よく年代ごとの遺跡を発掘するでしょう。
同じように、未来人も、我々の生きた残骸を指標に、時代を検証するとしたら。
区分所有マンションの出現、土地の異常な高騰、自然無視の埋立地等々が。
砂漠の中でマンションは瓦礫になって、埋立地は再び海に沈んだりしていて。
…はたして、評価してもらえる住文化なのか、気になるところですねぇ。

頭をよぎるのは、以前聞いた知人の言葉。
『日本は地震が前提で、壊れるのが前提で、木造建築が常識化した』
『必要以上の住まいは無駄、その金があるなら、海外で外貨を稼げ』
何となく、ひっかかる言葉なんですねぇ。

土地政策においても、戦後の新しいルールが始まった終戦記念日だからこそ。
今一度立ち止まり、日常を哲学的に考察してみたいと思いますねぇ…。
まっ、余り力まずに、がんばります!ではっ!